【名物企画】たつこた鼎談 ゲスト:細野香里氏

世界的米文学者の巽孝之氏、SF&ファンタジー評論家の小谷真理氏のお二人がゲストを招いて討議する名物企画「たつこた鼎談」。今回のゲストは巽ゼミOGで、現在は慶應義塾大学で教鞭を取られている、米文学者の細野香里氏。今年のテーマ"Unmasked"を巡って、パンデミックを振り返り、「赤死病の仮面」「マスクとロマン」「マイケル・ジャクソン」、そして「ゴシックとは何か?」など盛りだくさんの内容をお届けします!

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『テクノゴシック』(ホーム社、2005年)

小谷:それで、ゴシックついて考えたんです。まとめる際にはゴシックの中で何をモチーフにしたら分かりやすいか、何が中心的な話題になるかっていうことを考えて。コンセプトとしては19世紀に生まれたゴシックの怪物をモチーフにしてみると、クリアにわかるんじゃないかなと思ったんですね。それで『吸血鬼』、『フランケンシュタイン』『狼男』という3つの怪物を中心に話をまとめたらですね、ピックアップしたときはまったく考えてなかったんですけど、その進化形と言うことでビタっとハマった。このコンセプトはすごいなって思ったんです。もともと19世紀はゴシックってすごく流行するんですけど、吸血鬼はイギリスとかヨーロッパ系とかだいたい国の歴史が長い国に流行るんです。フランケンシュタインは、結構サイボーグ性と結びついていますね。日本とか、つまり途中で挫折して別の政治性を接ぎ木されたような国には、フランケンシュタインものって流行るんですね。それからもう1つは狼男なんですけど、これは圧倒的に精神分析理論が強い国で流行る。つまりアメリカで流行るんです。流行りものを見てるとね。その国の国民性とか歴史性とか、つまりその状況と怪物性ってとても関係があることがわかります。例えばアメリカって狼男ものがはやるって今言いましたけど、「えー、そんなにすぐ浮かべるほどあったっけ?」って皆さん思うかもしれませんが、実は「サイコもの」っていうのは狼男テーマなんですね。要するに『ジキル博士とハイド氏』のように、自分の心の中に別の人がいるとか、二面性があるとか、それは完全に狼男ものの変形なんです。フランケンシュタインものはね、絶対的に日本ですごくはやるんですね。サイボーグものっていうのは日本のもので、『サイボーグ009』とかね。ああいうのは絶対的に日本は強いですよ。吸血鬼ものは歴史的な要素があるところにはやることが多くて。と言うふうに怪物に特化して観ていくと、その国民性と関係があることが浮かび上がってくる。同時にゴシックってわかりやすくいうと、黒いのでどこにでも取り憑くんですよ。それで向こうの解説書を読んでたら、なるほどと思ったのはね、いろんなサブジャンルがあるでしょ。例えば、パンクとかロリータとかロカビリーとか。全然ゴシックとは何の関係もないカルチャーなのに、そこに黒がとりつくと、「ゴシックパンク」とか「ゴシックロリータ」とか「ゴサビリー」とかになるんですよ。そうやって、どこにでも取りついていく病のようなところがあって。

それでじゃあ、取りついて何をその黒はやってくれるのかなって思うと、そのジャンルの矛盾点、イライラする感じとか、あるいは怖いなとか、そういうカルチャー内部の不安感みたいなものを放出するために黒が活躍するわけです。まあ日本の場合、「ゴシックロリータ」はすごく流行ってるけど、あれはロリータの中の黒い禍々しい不安感を表出するために、黒い感覚が必要とされたと考えてます。パンクもそうですね。ただ暴れて反権力的に騒ぐっていうところにある、何か世界と相容れない、そういうところに黒がとりついてくる。矛盾点があったり不安があったりするところに黒が取り付いてしまう訳だから、それはどこにでもついてくると思います。どこにでも取り着いてそこのサブカルチャーのどろどろとしたものを表現してくれるっていうのが、ゴシック的に現代ゴシックが流行るってことの意味ではないかと思うんです。ゴシックって、不安を表す文学と言われているので、何でも取り付くんですよね。今のゴシック的なイメージは十九世紀のイギリスからですよね、大英帝国はきらびやかだけど、当時の世界都市ロンドンは、ドロドロとした都会のいろんな忌まわしいものが集結していた。そこではやるんです。さらに起源を辿ると、ヨーロッパで、例えばイタリアの人が、北方からローマ帝国を襲撃し滅ぼした人々のことを「北方の嫌なやつ、野蛮人」「ゴシック」と恐れと侮蔑を込めて言ったんですよね。だからまさに不安を表す時に使う言葉として生み出されて、長い時間をかけて全世界的に広がった。長い時を経ながら何か矛盾点があったとき、忌まわしい何かがある時に出てくるなってのがわかったんです。今も、経済格差の問題とか、性差やセクシュアリティの問題が隠蔽されながら、明らかに問題としてそこにある、と言うとき、黒いゴシック的な想像力とか、それを表す文学形式が必要とされる。『テクノゴシック』って言ったけど、これは、現文明という高度技術的な「テクノロジー」に取り付いた「ゴシック」ということで、ポップカルチャー(大衆文化)の中の「ゴシックスタイル」について分析していく本です。もうだいぶ昔の本なんですけれどね。コンセプトはそういうことです。ゴシックを歴史的におさらいしつつ、現在の不安っていうのはどういう風にあらわれているかっていう解説を中心にまとめています。ゴシックに興味を持つようになったきっかけは、ただ単にファッションで黒いのが好き、黒ってかっこいいけど、どうしてかっこいいと思ったんだろうってことですかね。黒い服は小学生の時から好きでしたしね。整合性のある世界よりは、矛盾のある世界の方が自分にフィットしたからかもしれないですけど。やはり黒いのが好きだったからですね。

鼎談の様子。左は3年山下晶椰

「ゴシック」を定義する

細野:今、小谷先生がお話されたように、ゴシックの定義の確認とそして再定義が、この『テクノゴシック』だったんだなと思って。その意味で、『ゴシック全書』は『テクノゴシック』の系譜に連なる著作なのではないかと。『ゴシック全書』は、かなり最近の映画作品まで網羅されてますよね。

巽:去年出てますからね。監修する時に全世界同時発売しますと言われたんです。だから私は原稿を結構早めに出してたんだけど、他の国の翻訳とも足並みを合わせるために、ずいぶん待たされましたね。

細野:他の国と合わせるためだったのですか。

巽:そう、各国語版が同時に出てる。これ、英語の原本が結構売れたらしいんですよね、たぶん21年ぐらいだと思いますけど。それで各国で翻訳されて、全世界同時発売された。

細野:『ゴシック全書』のAmazonのレビューを見ると、取り上げる作品がバラバラで、各要素が深められてない。」というマイナスのレビューがついてたんです(笑)。ラックファースト自身もまえがきのところで、自分は広義のゴシックを扱い、意味が絶えず移ろいゆくような比喩表現としても捉え、その方針のもと作品を取り上げていくんだと書いていました。これを踏まえてみるとアマゾンレビューでの批判はある意味当たってはいるんですけど、それはネガティブな意味で当たっているのではなくて、むしろそこが狙いだったんだろうというふうに改めて思います。

巽:狙いですよ。ゴシックの旧来の意味を撹乱させようとしてるんだ。例えば、それこそ『オトラント城奇譚』とか『フランケンシュタイン』とか、そういうものに衝撃を覚えた人たちがいるとして、それと等価な衝撃を、すれっからしになった現代人が21世紀の表象芸術の中に求めるとすると、例えばテッド・チャンの原作の『メッセージ』とか、モンスター映画じゃないか。ある意味ゴシックの大元の定義を踏まえながら、広げているんですよね。だから賛否両論の論争を巻き起こすかもしれませんが、逆にそうした論争を仕掛けるような性格が面白い本でしょう。

細野:「館」の項目で「パラサイト 半地下の家族」にも触れていて。「あ、それをもってくるんだ」というところがちょこちょこありますよね。

公式『パラサイト 半地下の家族』PV(2019)

巽:だから非常に広範囲ですよね。そこがちょっと面白いところで、私なりのゴシックの定義って、いわゆる普通の文学っていうのはミメーシスに基づいているとすると、ゴシックっていうのはネメシスじゃないかと思うんです。ミメシスってのは、基本的にはリアリズムですよね。人生とか世界をそのまま描写する。ネメシスというのは1種の因果応報だから、そう考えるとゴシックっていうのは分かりやすい。そういうとあの身も蓋もないけど、ゴシックの中で非常に多いのは、不動産とか遺産の継承じゃないですか。だから、私がこのラックファーストの序文に書いたのは、基本はヘンリー8世がローマ・カトリックと切れちゃって、それで国教会を打ち立てると同時に、イギリス中の修道院が廃墟になるんですよ。だからその廃墟風景というのが1つあるけど、それと同時に抑圧されたカトリシズムとかが回帰して、フロイト流にいうと、封じ込められたものが何らかのショックで現実に噴出する、回帰してくる。そこに因果応報のようなものを求めると、ゴシック的ネメシスになる。だから例えばホーソーンのThe House of Seven Gables、邦題だと『七破風の屋敷』だって、あれがゴシックなのはやはりセーラムの魔女狩りの時に土地を奪っちゃって、それが一種呪いになってるという設定でしょう。あれも身も蓋もないけど不動産の話ですよね。

鼎談の様子

佐藤:本来もっと怖い話になってもよさそうですけど、エンディングで明るくなるんですよね。

巽:うん、そうですね。『ロミオとジュリエット』のようなね。

佐藤:途中までが怖いんですよね。

巽:そうそう、呪いだからね。モールの呪いと謎の死。最近テレビでリメイクされたけど、『犬神家の一族』ってあるでしょう。あれは完全ゴシックじゃないですか、超自然じゃないけど。あの怖さっていうか面白いですよね、遺産相続なんですよ。結局、遺産相続すると因果応報があるわけで。

佐藤:セイラムの魔女狩りもね、結局は所有地をめぐる陰謀じゃないかって説がありますよね。処刑された人たちが土地で争っていますから。

巽:もう全然ロマンのへったくれもないところに、なぜかゴシック的なイマジネーションが出てくるわけですよ。だからネメシスじゃないかなと考えたことがまああるわけです。ゴジラだってね、第五福竜丸事件などがあるわけだから。自然環境をこう破壊すると何かが報復してくるというようなことがあるわけですよね。

SF作家のポール・アンダースンの『天翔ける十字軍』(1960年)やマイケル・フリンの『異星人の郷』(1986年)では、エイリアンがカトリックの洗礼を受ける。ローマ・カトリックの野望はもう地球を超えていく。そういうゴシックの抜本的な再定義をラックファーストは試みている。

小谷:確かにあれもこれもって欲張りな感じがするんだよね。ある意味贅沢で、自由なのよね。まあゴシックは情報貴族的ですが(笑)。

巽:ラックハーストも、ゴシックの仕事をもらったんで、それじゃ俺の好きなことなんでもかんでも入れちゃおうみたいな感じだったんじゃないかな。文句が出たらジャンルを再定義するんだって開き直ればいいやって。

小谷:ゴシック至上主義者、これ読んだら怒っちゃう? 

巽:いや、絶対あるよね。テッド・チャンとか入れるとね。

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