【名物企画】たつこた鼎談 ゲスト:細野香里氏

世界的米文学者の巽孝之氏、SF&ファンタジー評論家の小谷真理氏のお二人がゲストを招いて討議する名物企画「たつこた鼎談」。今回のゲストは巽ゼミOGで、現在は慶應義塾大学で教鞭を取られている、米文学者の細野香里氏。今年のテーマ"Unmasked"を巡って、パンデミックを振り返り、「赤死病の仮面」「マスクとロマン」「マイケル・ジャクソン」、そして「ゴシックとは何か?」など盛りだくさんの内容をお届けします!

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細野:私は2020年の3月に博士号を授与されるはずだったんですよ。先ほど先生が冒頭で2019年のハワイのアメリカ学会遠征の話をされましたけれども、そこでの初めての国際学会での発表と博論提出と口頭試問を2019年末にかけて続けざまにこなしていまして、結構しんどかったんです。そこで2020年3月に博士号を授与されたら、他に同じタイミングで博士号を取る同期と先輩がいましたので、みんなで絶対にお祝いをするんだと思って乗り越えたのに、コロナ禍になってしまって。

巽:そういえば、そのお祝いはどうなったんだっけ?

細野:食事会は結局その後感染が落ち着いた時期にしていただきました。しかし当時は節目と思ってめざしていたゴールが無くなってしまった気持ちでした。学位記も式典も当然ないです。

巽:式典がなくなったのは、本当に残念。

細野:はい、オンライン配信だったんですよ。日吉記念館で式典自体は行われているんですけれども。理事の先生方が並んだ壇上の様子を、私は家でパソコンで見ていました。

巽:2012年に卒業でしょ?学部ではその時、卒業式があった?

細野:はい。卒業式が流れるという経験をされたのは1つ上の田ノ口さんの代ですね。

巽:田ノ口君は博士号授与が細野君と同じ時だった。しかし彼の代は、2011年に東日本大震災で学部の卒業式が流れ、それから2020年に学位記博士号の学位記授与式も流れちゃったので、あまりにも可哀想な学年なんです。ただ、チームワークがいいですけどね、あの代は。

細野:そうですね。結束力がそのぶん、増すというか。

巽:そうそう。

細野:そうですね。そのようなかんじで、私が学生でなくなったその翌年の巽先生の最終講義もオンラインで、そういう節目の行事というものがすべてバーチャルで行われていました。ですので、自分の中では人生の転機となる時期のはずだったのに、全てがバーチャルで行われて実感がわかないまま、人とのつながりが突然断たれてしまいました。博論を出してから1年間、複数の大学で掛け持ちの非常勤講師生活をしていたんです。その時は大学の方針が決まりましたというメールだけが定期的に送られてきて。先ほど小谷先生がおっしゃっていたように、それを必死に読んでオンライン授業のやり方を勉強して、なんとか仕事だから授業をしなきゃいけない。誰とも会えないというのは学生の方も同じだったと思うんですけれども、教員側も何かと大変で、特に非常勤講師というある意味曖昧な立場の構成員であるとなると、その大学がどういう方向で動いているのかの予備情報も手に入らないわけですから、全く先が読めずわけがわからない。そんな1年間を過ごしてその後1回就職して。それでまた今年からこの慶應に専任で就職が決まったということで、結構大きな変化があったはずなのに、これが現実であるという実感がない。でもそれはたぶん多くの方が感じられていらっしゃったことなんじゃないかなと思います。そんな、マスクとの3年ちょっとでした。

日本では今年の5月、今から1ヶ月ぐらい前にアンマスクドになったわけなんですけれども、それ以前に大手を振ってアンマスクドという状態になれるのが、私にとってアメリカで。昨年の夏のことですね、だから2022年の8月にコロナをへて初めてアメリカに海外出張に行けたんですね。その時はフィラデルフィアだったんですけど。

誰もほぼマスクしてないから、久しぶりにマスクを外して長い時間を過ごした時は解放感がありました。その次は2023年の1月にサンフランシスコのMLAで。でもMLAでは会場内ではマスクをしてくれという方針ではあったんですけれども。多分海外と行き来していた方の実感もそうだと思うんですけど、日本にいるとマスクをするけど、国の外に出るとマスクを外すという。

すると、アメリカに行くとマスクを外せるということ、それが別の意味あいを帯びてくる。つまり、普段いる環境から出て行けることと、アンマスクドの状態となることが同義になっているという。そういう経験はなんか不思議な感じがしました。

サンフランシスコといえば、私は2017年から18年かけてバークレーに留学していて。留学に行く以前から何回かサンフランシスコ・バークレーエリアには行っていて、思い出深い場所だったんです。

2017年クリスマスシーズンのサンフランシスコ、ユニオンスクエア
コロナ前のサンフランシスコの街並み
コロナ前のサンフランシスコの街並み

それで、久しぶりに行った年の街の変貌ぶりから、コロナの影響を強く感じまして。というのは、私はいつも暮らしている日本での変化よりも、2018年までのサンフランシスコと、2023年1月のサンフランシスコの違いにコロナの痕跡をよりはっきりと感じて、ショックを受けてしまったんですね。いつも見続けていると徐々に起きる変化に気づきにくいけれど、時間を空けて久しぶりに見ると違いがはっきりと判る、ということかもしれませんが。ニュースにもなっていますが、サンフランシスコはIT企業のオフィスが中心地にあって、その周辺に人が集まって、それで小売業も潤ってという仕組みで都市として成立していたのが、コロナ禍のせいでリモートワークが当たり前になって。企業がオフィスを引き上げてしまって中心部が空洞化して、空き店舗も増えて、治安が明らかに悪くなっていますね。被害額950ドル以下の窃盗は軽犯罪扱いとするという州法の影響もあるとされていますが。

巽:シリコンバレーね。

細野:前からホームレスの方がいたりとか、マリファナの臭いが普通に漂っていたりとかはあったんですけれども。

巽:まあ、そうだね、マンハッタンも今はひどいですよ。街の問題になっちゃったよね、あれなんとかしろって。

小谷:マンハッタンはよく匂いますね。

細野:そうなんですね。先生はちょっと前にサンフランシスコへ行かれたんですよね?

立教大学のメルヴィル学者・古井義昭先生。バークレーにて。

巽:サンフランシスコ三田会に呼ばれてね。ベイエリアには、田ノ口君の一代前のゼミ生・樋口奈美君が結婚して住んでるので、彼女も出席していた。今回は立教大学のメルヴィル学者・古井義昭君とも再会してお寿司屋さんに行った。彼が案内してくれて。細野君が再訪した時、彼女のために車を出しましたって、言ってたな。バークレーには、元気そうで良かった。本当はサミュエル・オッタ―も同席するはずだったんだけど、彼がコロナになっちゃって、土壇場で会えなくなった。

細野:あ、そうだったんですね。

小谷:サンフランシスコ三田会総会、活発でしたね。本当にたくさんいらっしゃって。

巽:やっぱりそのコロナ明けってことがあってね。各地に三田会があるんだけど、やっぱりカリフォルニアは強い。

左が樋口奈美ご夫妻。サンフランシスコ三田会にて。

“Unmasked”と”The Masque of the Red Death”

巽:私がやっているのはアメリカ・ロマン派つまりアメリカ・ルネサンスなんだけど、この系統にはマスクっていうモチーフの作品が結構いっぱいあるわけですよね。ポーだと “The Masque of the Red Deathもあるし、ホーソーンにも“Lady Eleanore’s Mantle”がある。それからメルヴィルだと、The Confidence-Man: His Masquerade。だからアメリカ・ルネサンスの中のマスクっていうのはここのところ今のコロナの状況と結び付けて考えていたんです。アメリカ・ルネサンスというのは、マシーセンの定義だと1850年から55年なんですが、でも実際にはどんどんこの期間が緩んできている。今はだいたい1830年代ぐらいから南北戦争ぐらい前後までという期間になっているんですけれども、その頃もやっぱり疫病が色々とあったんですよね。特にメルヴィルの『白鯨』にも、yellow fever(黄熱)にかかっちゃった捕鯨船というのが出てくる。『白鯨』を読むと、「船上交歓」(gam)といって、海の上で捕鯨船同士が出会った時に色々情報交換するために橋桁を渡して、それで相互に行き来するというシーンがいっぱいあるんです。そのうちの1つの捕鯨船ジェロボーム号っていうのは黄熱病に侵かされていて、「渡っちゃいけない、こっちに来るな」と。メルヴィルの『詐欺師』の場合は、詐欺師がいろんな人に変装していく、そういうマスカレードですけれど。ホーソーンの場合は、実際の疫病を背景に描いている。でも、やはり私は自分でも訳した「赤き死の仮面」“The Masque of the Red Deathが非常に好きです。the red death、赤き死っていうのはもちろん、ペスト、Black Deathのパロディなんです。今だから赤死病って訳す人がいますね。ちなみによしながふみの『大奥』では江戸時代に男が赤面(あかづら)疱瘡という疫病にかかってバタバタといなくなってしまうので、実は女性が男性名で将軍やっていてこれが本当の日本の歴史なんだっていうふうに妙に説得力をもって迫ってくる。

『大奥』(白泉社、2004-2021年連載)

『大奥』って映画に何度もなって、最近テレビドラマにもなったんですけれど、あれはポーの “The Masque of the Red Deathを彷彿とさせる。全身に赤い斑点が浮き出るわけですからね。それこそ今、我々が対策してるように、城を完全に封鎖してその疫病が入ってこないようにする。しかし、その中でプロスペロー王は非常に華やかな「マスカレード」(仮面舞踏会)をやってワイワイ騒いでる。でもそこに赤死病に侵された患者の姿そっくりのコスプレをした人物がなぜか入ってきて、それを追っかけてその衣装を剥ぎ取るとその下には何もない。だからはぎとる行為が一種の”Unmasked”なんです。はぎとったら何もなくて、一気にその城の中が赤死病に侵されるという非常にショッキングな話なんですけど、映画化もされてていてなかなか面白い。映画版では、国中が赤死病に侵されているんだけど、プロスペロー王は、一部の裕福な人たちだけを城に集めているんですね。そして城の外では貧しい国民が国王に対して反対運動とか蜂起している。だから一種の因果応報みたいなかたちでプロスペロー王が赤死病に襲われてしまうんですけれども、やはりこの構図っていうのは、非常に今の時代を連想せざるを得ない。

The Masque of the Red Death (1964 film)

さっき、よしながふみの『大奥』もちょっと影響受けてるんじゃないかといいましたけれども、「マスク」っていうのは、二重にも三重にも意味があるんです。「赤き死の仮面」は短編ですごく短いですけど、プリンスプロスペローっていう主人公が出てくることから、これはネタ元がシェークスピアの『テンペスト』なんですね。それでその中に実は”red plague”、つまり「赤い疫病」という単語が出てくるんですよ。それでその単語はどういう文脈で出てくるかっていうと、そこではプロスペローはイタリアから追放された貴族なんですけど、それと同時に魔道師なんですね。それである島に流れ着いて、原住民たちを魔法で支配するんです。でも支配するときに、魚だか獣だかよくわからない姿をした怪物でキャリバンって原住民に言葉とかを教える。ところが、ある時キャリバンがキレて、魔道師プロスペローに向かって「お前なんか赤い疫病でくたばっちまえ」っていうことをいうわけです。なんでかっていうと、「俺様に言葉なんて言うものを教えやがった」。なぜなら「言葉が役に立つのはせいぜい悪口をいう時だけじゃないか?」。だから、「言葉なんてものはせいぜい悪口ぐらいにしか役に立たないのに、そんなものを教えやがって。だからもうお前なんかあの赤い疫病に襲われてくたばっちまえ」という、それ自体大変な悪口を、プロスペローに浴びせかける。そのキャリバンの言葉の中に「赤い疫病」”red plague”が出てくるので、そこからポーは”The Masque of the Red Deathを思いつき、主人公の名前もプロスペローにしたのであろうというのが定説ですね。このキャリバンの言葉っていうのはなかなか意味深い。言葉を教える、しかし、その言葉っていうのは、悪口にしか役に立たない。この洞察は、非常に重要だと思うんですね。

Scene from Shakespeare’s The Tempest by William Hogarth (1735)

“Unmasked”すなわち仮面を引き剥がしてその下に何もないというその感覚が何を意味するか。それはひょっとすると言葉っていうものが何かをさししめしている、指示してるっていうのが、普通我々の前提ですけど、実は言葉という仮面の下には固定した意味などないのではないか。言葉と物が対応してるという約束事に我々は長いこと縛られてきたけれども、「赤き死の仮面」のラストシーンっていうのはひょっとするとその言葉そのものの運命を”Unmask”する、「暴露する」、そういうアレゴリーなんじゃないか。

(⇓巽先生がご登壇された、2022年12月に成蹊大学にて開催された感染症連続講座のPPTより抜粋。)

こういう発想で、私は 1982年に、日本アメリカ文学会東京支部の月例会で発表したんですね。私はちょうど慶應義塾大学法学部の助手として就職したばっかりで、せっかくだから、大学院のアメリカ文学の授業に出ようと思って、山本晶先生の授業に春学期出ていたんです。その時一緒に出ていたのが、いまは東京都立大学名誉教授になられた渡部桃子さんと慶應義塾大学名誉教授になられた朝比奈(旧姓:梶野)緑さん。私の学会発表のことを聞きつけた山本先生が、ちょっとこの授業でも発表してみなさいと言われて、その授業の中でも原稿を読みました。今にしてみると私の最初の脱構築批評の実践でしたね。またポーの作品というのは、そうした読みに実に向いていた。あの小説は、色とりどりの部屋があって、その赤死病の扮装をした闖入者が駆け抜けていくのをプロスペローが追いかけていくという最大の見せ場があります。それに関して山本先生が部屋から部屋へ移るその構造がどうなっているのか具体的に、どういう形をしているのか説明してみなさいという、非常に面白い質問をされたんです。あれ、まっすぐじゃないんですよね。部屋と部屋の連なりが少し歪んだ形で、オウム貝のように湾曲している。一番最後の部屋で、プロスペローがその相手を突き刺す。それで突き刺して死んだと思ったら、実はその下には何もなかった。”Unmask”しようとしたら、その下には何もなくてプロスペロー自身が息絶えちゃうんですよね。だからあの話はいろんなことを考えさせるんです。何か隠されたものを暴露したつもりでも、「その下にはじゃあ何かあるのか」っていうと、ひょっとすると何もないかもしれない。

1996年 11月の巽先生の福沢賞受賞式後レセプションの際の様子。
(福沢賞の詳細については下記URL http://www.tatsumizemi.com/2019/09/blog-post.html)
左から秋元孝文先生(現在、甲南大学教授)、常山菜穂子先生(現在、本塾法学部教授)、大串尚代先生、巽先生ご夫婦を挟んで、山本晶先生(本塾文学部名誉教授)、河谷千佳子先生(当時修士課程2年)、竹野冨美子先生(現在、東海学園大学准教授)。
三田キャンパス西校舎の食堂にて撮影。

こうした意識は、結構アメリカン・ルネサンス全体に共通しているかもしれません。あの『白鯨』のエイハブ船長は、モービーディック自体を「巨大な壁」と呼ぶんです。その「壁」に自分が剣を突き刺してやりたいと。しかし、その剣を突き刺した先には、「壁」の向こうには、原文で”naught”、つまり「壁」の向こうには何もないかもしれないこともまた、エイハブはわかっているんですよ。そのあたりは、ポーとメルヴィルが袖触れ合うところなんです。だからアメリカのロマン派が絶えずそういう恐怖何か仮面を引きはがして、その先に何もなかったらどうしようって恐怖を描いていたのが面白い。

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