[卒業旅行エッセイ]武井雄太郎のひとりアメリカ縦断紀

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まるでディズニーランド? ニューオーリンズ

旅の終着点であるニューオーリンズという町の特殊性はアメリカ史を見ても強調しすぎてもしすぎることはないとよく言われる。フランスとスペインの色彩を混ぜつつ、ハイチを中心としたカリブ海文化がミシシッピ川河口突端の陸の孤島で混ざり合う。今でもブードゥー教がマジメに信仰されているこの街は、それまでのアメリカとは思えず『妖しい』と形容するほかなかった。

アトランタからは乗客が自分以外全員黒人だったというバスに揺られ8時間ほどでニューオリンズたどり着いた。アトランタ〜ニューオーリンズまでは飛行機ですら3万円と安いため、バスを使うのにはよっぽどの事情があるということになる。もっとも自分は陸路でアメリカ縦断と決めていた事情がこのあたりにあったわけだが、マリファナの甘い匂い漂うバスの車内で、バッグを前に抱えながら過ごす8時間は言うまでもなく過酷であった。

バスで着くとニューオーリンズは思ったよりも大都市であるのに驚いたが、3月というのにすでに季節は夏であった。自分がボストンからかなりの距離を移動してきたと言うことが、気温から分かり嬉しくなった。

ニューオーリンズはまさにブレンドカルチャーの街だった。そもそもアメリカ自体が世界中の移民によって成り立つブレンドカルチャーの国であるが、ニューオーリンズにはアメリカとはまた違う独特の文化が今も華開いていた。それはスペインであり、フランスであり、カリブであり、中南米であり、環大西洋的な文化が混濁した街であった。街中に星条旗が掲げているのが場違いといった印象すら感じた。

ワニが多く住むバイユーと呼ばれる湿地帯の中に沈むこの街はうだるような湿気と暑さで数々の幽霊伝説や不気味な小説を生んできたが、なによりジャズ発祥の音楽の地でもある。アメリカの多様性を最後にここまでかと見せられたような、そんな気持ちであった。

ちなみにディズニーランドのワールドバザールを出て左、カリブの海賊などのあるエリアはニューオーリンズを模している。卒論をディズニーで書き上げたほどのDオタである自分はディズニーランドがオリジナルで、むしろニューオーリンズがコピーとして高い完成度を誇っているという錯覚に陥るばかりであった。それほどディズニーランドの建造物はオリジナルに忠実で完成度が高いと言えた。

ディズニーランドにあるマークトウェイン号のモデル

ニューオーリンズは夕方から夜にかけて、街全体がオレンジ色の暮れなずむ陽に溶け、至る所の路上からジャズが奏でられる頃からが観光を楽しむのに最適な時間である。夜通し営業する店も少なくなく、路上での飲酒も認められるこの街の夜は非常に長い。

そのため朝は逆にひっそりとしていて、人気のないミシシッピ川沿いをニューオーリンズ特有のフレンチ系コーヒー片手に歩くのは気持ちよかった。日本ではスタバやタリーズなどシアトル系カフェが主流だが、ニューオーリンズのコーヒーはチコリを混ぜたカフェインレスかつヘルシーなコーヒーが特徴である。特にカフェデュモンドはニューオーリンズに来たら必ず訪れなければいけないという一番の観光名所であり、ベニエという大量の砂糖をまぶした揚げ菓子は絶対に食べるべきである。

昼下がりになるとジャクソンスクエアという公園を中心に多くのミュージシャンがジャズを奏で始める。いずれも通りすがりに無料で聞くことができる上に、バーボンストリートでは毎日のようにカーニバルの様相を示していた。カラフルに彩られた台車が大音量を流し、5,6人の音楽集団がドラムを叩きながら街を練り歩いていた。

Airbnbにも泊まらず、基本一人であるのがやや寂しかったが、ラフカディオハーンやウォルトディズニーがこの街をこよなく愛したというのが本当によく分かった。果たしてなぜこれほどまでに素晴らしい街に日本人観光客があまり興味を示さないか謎である。

なおこちらがバーボンストリートにあるラフカディオハーンが住んでいたマンション。クラブに改装されており、そのことを示すサインなどは一切見当たらなかった。

スワンプツアー。バイユーと呼ばれる湿地帯を1時間ほど小型のボートに乗って回り、ワニに加えて野生のアライグマやイノシシなどが見れる。80人ほど参加者がいたが一人参加は自分だけであった。

名物のケイジャン料理。写真の料理はワニを抱いた手で食べてしまったのを後で思い出し心配になったが、想像を絶するほど美味しかった。他には西アフリカやフランス、スペインの影響を強く受けた、ジャンバラヤやガンボ、オイスター、ザリガニやエビなども名物である。マーケットで買い食いするのも楽しかったが、値段を考えるとフレンチクォーターからは外れた、ヒルトンホテルのレストランで食べるほうが質的に良い印象を受けた。

夜8時。ホテルをチェックアウトし、本店ではない空いてる方のカフェデュモンドからベニエとチコリコーヒーをテイクアウトし、プリザベーションホールへと歩いて向かった。

セピア色のかなり古びた建物は、ジャズの発祥の地であってニューオーリンズに数あるジャズバーの中でも最も正統で歴史があるという。事前に聞いた情報では予約なしでもいけるということであったが、前日以前の予約がないと入るのは困難なようであった。

楽器が前に置いてある小さな部屋に40人ほど詰められドアが閉められると、照明が暗くなり演者の黒人がジャズを奏で始めた。それは現代のより洗練としたものではなく、プリミティブなジャズの演奏であった。観客からのコールアンドレスポンスで部屋は暖まり、暗い部屋の中で湿気と暑さで息苦しさを感じてくると、感覚が鈍くなっていった。旅の疲れもあってか、ふと19世紀のニューオーリンズまで自分が戻されたような錯覚を受けた。

19世紀のニューオーリンズはマリーラボーというブードゥーの女王の時代であった。非キリスト教色が強いこの街を呪術的な力でもってして魅了したクレオール系の女性である。彼女にまつわる伝説や歌は非常に多く、街中でも彼女を描いた絵というのをよく見つける。演者の一人が彼女の名前を叫ぶと、それに合わせて観客が彼女の名前を口ずさんだ。

それを何回も繰り返していくのが、やがて潮の満ち引きのように感じられた。これはこのミュージシャンの伝統らしい。アメリカ旅行がついに締め括られるということを考えながら、ふと振り返ってみれば自分が最初にアメリカに恋したのは大学一年の時に訪れたサンフランシスコであったことを思い出した。恋というのは大袈裟な表現かもしれないが、大学生活で頭の片隅にずっとあったのはアメリカのことであった。そして今回の旅はそのアメリカに対する恋を確かめるようなものであったと思う。アメリカに関する数々の思い出が追憶となって自分の胸に去来し、波のようにして優しく折り返した。アメリカに来れるのは次はいつだろうということを考えながら、酩酊に打たれたような気持ちでそのプリミティブなジャズにひたすら耳を傾けていた。

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