[卒業旅行エッセイ]武井雄太郎のひとりアメリカ縦断紀

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いざ、ワシントンDCへ乗り込む

ニューヨークを後にし、目指すはワシントンDC。同時に途中のフィラデルフィアも見物できればと考え、フィラデルフィアに立ち寄る格安のバスを選んだ。

バスの窓からではあったが、米文学の授業でも繰り返し触れられたフィラデルフィアの街並みやサスケハナ川、チェサピーク湾、ボルティモアといった地名を窓の中から眺めた。おそらくジョージワシントンやトマス・ジェファソンが眺めた時代とそう大差ないだろうと思われる自然の原風景も残されていた。

※本当はペンシルベニアにいるアーミッシュに会いに行こうとアーミッシュカントリーまで羽を伸ばそうと考えていたが交通の便が悪すぎたため断念した。なおワシントンDCのユニオンステーションのホームにてアーミッシュの夫婦を見かけた。

サスケハナ川

夜になるとアメリカのハイウェイは何車線にも広がり、その上を流れる車の光が美しく輝いていた。光の束が交差し、それぞれの道を照らしているのを見ながら、この広大なアメリカの大地を思った。果たしてよく独立戦争の最も緊迫したタイミングにおいて、フィラデルフィアからボストンまでの情報伝達が可能だったなと思った。大地に刻まれた記憶を考えながら、やはりアメリカの国土はやはり異常に広いと感じた。

ワシントンDCに足を踏み入れたのは、午後8時過ぎ。ニューヨークからは4時間ほどかかったことになる。あたりはすでに暗かったが、遠くには恍惚と輝き、ライトアップされた国会議事堂が見えた。この首都となるべく計画された都市は、南北戦争や米英戦争といった戦果を耐え、民主主義や人種平等の理念を世界に向けて旗振り続けている場所であるのだという認識が自分の中に生暖かく蘇ってきた。

今回私が選んだ宿泊先はホワイトハウスからもそう遠くないシャーという場所にあった。実はシャーは近年になってやっと治安が改善されたという地域で黒人街にもあたるため、アジア人がスーツケースを引いて夜道を歩くのは目立つだろうと多少は気を引き締めていた。そんな中で、出迎えてくれたのは40代ぐらいの白人の夫婦であった。まだ夕飯を食べていなかったので、カップラーメンを食べようとポッドがあるか尋ねると、ホストはそんな事情を気遣って、つくやいなやなんと夕飯を振舞ってくれた。

振る舞ってくれた夕飯。人と人とのつながりを感じれるのがエアビ最大のメリット。

聞いてみると、奥さんは仕事の傍でシェイクスピア劇(『お気に召すまま』)の女優にボランティアとして参加し、夫はテニスが大好きなオーストリア人ということであった。奥さんのお父さんはオッペンハイマーとロスアラモス研究所にいたということもあり、日本は核戦力を持っていないが原発があるのでそれは同等のことだ、というような少し立ち入った教養のあることを夫に説明していた。

ワシントンDCは一言で言うと、歩いて観光するには不向きな街であった。計画都市であるためか、ワンブロックが他のアメリカ都市と比べて非常に大きく、ニューヨークのつもりで歩いていると痛い目にあう。加えて街の中心部にはふらっと入れるカフェや、手頃なレストランがほとんど全くと言っていいほどなかった。

自分の知っているワシントンDCといえばキング牧師の行進やベトナム反戦運動など、この超大国アメリカにおけるあらゆる理念や思想、政治的な力学が作用し衝突する舞台であった。いってみれば州の独立性が強く外へ外へという遠心力が働いているのに対して、多民族を一つにまとめあげるべくあらゆる政治的な力が無限小に集中する点というのが、このメリーランド州の端に小さく設けられたワシントンDCという直線で囲まれた一画だと考えていた。果たしてこんな国土が広い国において共和国が成り立つのかという疑問に対して、その遠心力と求心力の絶妙な緊張感の中でそれを実現せしめているのが、この人工的な国の人工的な首都であるワシントンDCであるのではないか。

左手のビルがFBI本部

しかしその街は驚くほど鎮まり返っていた。考えてみれば永田町や霞ヶ関も鎮まりかえっているので、洋の東西を問わず、政治都市というのは平時こういうものなのかもしれない。

まず初日はホワイトハウスを見物しようと、街の中心部に歩いて向かった。世界はアメリカ一国のスーパーパワーにおいて平和が保たれているパクスアメリカーナの時代であるのにも関わらず、その中枢である首都の街の中にはモザイクのように治安の悪い地域と良い地域が混在している。ステイ先から南西に15分も歩けばホワイトハウスに着くが、その道中も決して治安の良さそうな道ではなかった。

歩いていると黒人が非常に多いことが目につく。緯度で言うと仙台あたりだが、歴史的な背景を見るとここはすでに南部にあたる。南北戦争の際などメリーランド州がかろうじて北部側についたことで、DCは陸の孤島になることを防げたが、首都としてこの街は黒人の受け入れに常に積極的にならざるを得なかった。当初この位置に首都を置いたことは奴隷制の容認を意味していたが、黒人のハーバードたるハワード大学があるように、この街は人種における暗黒史を抱えるアメリカにおいて、ビーコンとなるべく光を放ち続けていたのだ。

ホワイトハウスはポトマック川を見下ろせる小高い丘の上に立っていた。背面から見ると柵に囲まれているものの、特に荘厳といった印象を抱かせるものではなく、衛兵もさして見当たらなかった。むしろ保存されている過去の歴史的な家のような印象を受け、現役の大統領がこの中で執務を行っているとは思えないほどであった。

あたりをぐるっと周り、アイゼンハワー行政府ビルの脇を下り正面へと回った。背面とは異なり正面からだと遠くから見上げる形でホワイトハウスを眺めることになるが、そちらの方が数等立派に思えた。権力の象徴にならないように意図的に小さく作られたというこの小さな白亜の館が立派に見えるためには背景を必要としたのだ。

そのあとは近くにあるスミソニアン博物館群の一つ、国立アメリカ歴史博物館と国立自然史博物館、航空宇宙博物館を巡った。スミソニアン博物館は一つの博物館ではなく、大小20もある博物館を束ねている大博物館群であり、国民の財産を還元するという名目の元、どれも無料で入ることができる。

ちなみにスミソニアン博物館を運営しているスミソニアン協会はイギリスの科学者スミソンの寄付により設立されたが、なぜアメリカを訪れたことのない彼が莫大な財産をアメリカに寄付したかは未だに分かっていないという。

ほかにも独立宣言や合衆国憲法が間近で見れるアメリカ公文書図書館や、世界最大の図書館である国会図書館、スパイ博物館(ワシントンDCは世界でスパイが最も多い街なのだという)などミュージアムが山のように集まっており、オタク性の自分を満足させるのには飽きの来ない街であった。

最終日は予約して訪れたアメリカ国会議事堂と国会図書館を訪れた。これら公的な機関は予約が必須であるが、中でも特に国会議事堂ツアーでは、『独立宣言』をはじめとして名画も見ることができるので絶対に参加すべきであると思う。

ドーム天井に描かれた神格化されたワシントン

本来であればポトマック川を渡った先、バージニア州にあるアーリントン墓地や、ペンタゴン、ジョージワシントンの家があるマウントバーノンまで足を伸ばそうと考えていたが、交通の便があまりにも悪く諦めた。またフレデリックダグラスが住んでいたアナスコティアのあたりは今でもかなり治安が悪いという。なおワシントンDC内の移動であれば自転車が一番便利であるということに最終日になって気づいた。自転車で走っていると丘の多い街だと気づくが、大地の律動をそのままにして感じることができる。

ワシントンDCでは食事の都合がすこぶる悪く、基本的にはスミソニアン博物館内のレストランか、街中を走っているフードトラックで済ました。ホストにフードトラックを勧められたが、ソフトクリームひとつで20ドル渡して5ドルしか返ってこなかったときはショックで2日ほど引きずった。結果としてホストには朝食から夕飯まで作ってもらい、さらには洗濯までお世話になってしまった。流石に申し訳なく、帰る際にわずかばかりの気持ちとして50ドル札と手紙をキッチンに忍ばせておいた。Airbnbのホストは「かつて泊まった日本人は〜」のように大きな主語で語りがちであるため、お世話になった分せめてこの知的で教養のあった夫婦の日本人に対する心象が良くなってくれればと思う。

寝台特急でアトランタへ

眠りから覚めると僕はジョージア州の森の中にいた。というのも前日の夜6時にワシントンDCから出ていたクレセント号という寝台特急に飛び乗り、アトランタへ向け一路南下をしていたのだ。6万円と値段は張るが、移動、寝床、食事が込みだと考えれば安かった。

こちらがルーメットと呼ばれる部屋。ドリンクやスナックはボタン一つでコンシェルジュに頼めばすぐ持って来てくれ、部屋にはトイレまで完備されているというアメリカにしては豪華な部屋だった。普通この距離を移動するなら飛行機を使うのが一般的であるため、鉄道も対抗するために至れり尽せりといったところなのだろう。なお乗ってる乗客も品がよく、ワシントンDCで乗り込むとわざわざ挨拶しにくるといった民度の高さであった。

椅子を倒すとベッドになるため、少し仮眠を取ろうと横になったつもりが、起きるとアトランタ手前まで来ていた。朝7時になるとコンシェルジュが朝食を持ってきてくれた。彼は南部出身のブッシュ大統領を彷彿とさせるような噛んで吐き出すようなアクセントをしており、ほとんど英語を聞き取れなかった。

アトランタではAirbnbではなくホテルを選んだ。というのも街の中心部に良さげなエアビが見つけられなかったこと、泊まっても一泊しかしないと決めていたため、少し奮発してハイアットで贅沢することにしたのだ。

コカコーラ本社

アトランタはよく南部の首都と言われる。なぜこんな内陸の奥地、海からも遠い標高の高い川のない場所でここまでの大都市が発達したか不思議であるが、ここは交通の要衝として発達したという。そしてこの地にジョージア水族館というアメリカ最大の水族館があるのもアメリカらしい発想のダイナミックさである。果たしてどうやってジンベエザメをここまで運んで来たのだろう。

アトランタには日系企業も多く、総領事館もあるため日本人にとっては比較的馴染みのある場所であるが、今回訪れる街の中では屈指の治安の悪さを誇る。ホテルからコカコーラの本社までわずか1kmであったが、その間もかなりのホームレスがいた。西海岸の暖かいバークレーやサンフランシスコでもホームレスはたくさん見かけたが、アトランタのホームレスは道徳的退廃を感じさせるような治安の悪さを感じた。ホテルのゲートもかなり頑丈であったため、アトランタでホテルに泊まったことは正解だと思われた。

しかし旅も終盤に差し掛かり、こうして初めて一人でホテルに泊まったわけだが、気づいてみればここで強烈な孤独感と寂しさが自分を襲っていた。考えてみればこれまで人の暖かさに触れながら過ごしてきた旅であったが、異国の地でひとりになる時間が多いと、いやおうにもネガティブな思考に囚われた。たった一晩でワシントンDCからどれだけ移動してきたかということを考えると、ワシントンDCのホストが遠くに行ってしまったことを寂しく感じると共に、この国の異常なまでの国土の広大さを感じざるをえなかった。ニューヨークやボストン、ワシントンDCといった港湾都市から発達した大都市に比べ、南部の内陸にあるというアトランタは気のせいか無機質で埃っぽい大地であるようにも感じた。アトランタに至って、アメリカという国は孤独感とは切っても切り離せない国だという小説やエッセイで繰り返し触れてこられた事実を身をもって痛感するばかりであった。

(ニューオーリンズへ続く)

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