[海老原先生インタビュー]『ポストヒューマン宣言』—Maniacなポストヒューマンたち

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4. ポストヒューマンと科学 

——『ポストヒューマン宣言』66ページの「科学を基盤にしながら科学が答えられない意味について問う虚構であるSF」というところにはとても納得しました。近年のSF作品を見ていて海老原先生はSFとは現実の科学に先立つものだと思いますか? それともやはり現実の科学が先立ってSFが生まれてくるのでしょうか?

海老原:最近の研究者はSFを読んで育ったということをはっきり言いますね。最近話題になっているのは、中国がSFにかけるお金が本当にすごいということです。作家を育てて賞を与えたり、若手の読者を育てたり、科学教育という文脈でSFを使っていこうとしています。作家になるのもいいし、あるいはSF的な想像力が育った人が科学者になって現実に新しい発明を作ったりして、社会にフィードバックするのもいいし、そこは巧みに使い分けてますね。科学に投資したからといって科学に返ってくるわけでは必ずしもないので、ソフトパワーかハードパワーかという話ではないですが、空想の話だからこそ逆に入り口としていいし子供にも勧められる。
 もちろんSFは現実の科学とは違うけれども、「こんなことできたらいいな」と思って育った人が科学者になるということは十分あります。SFの方もSFの方でサイエンスに詳しい作家もいるので、そのサイエンスの知見をほどよく味付けして、少し嘘を混ぜて上手にまとめて本当に現実の科学者が見てもうなるような小説を書く人もいます。科学とSFの協力関係はありますね。昔はもっと喧嘩していたのかもしれないですけど。

——私自身アイザック・アシモフの小説が好きで、アシモフの小説は現代の科学で言うとありえないなってところもあるんですが、やっぱり彼は科学者だったので、科学に裏付けされた小説っていうのは面白いなって思います。なので科学と小説が協力関係にあるって言うのは良いなって感じますね。

海老原:そうですよね。アシモフもそうですが作家とか科学者っていう風にくくれない幅の広さがあります。アシモフって大学でも講座を持っていて科学者的な面もあり、かつ作家でバリバリ作品を書いていた。今じゃ当然考えられないような幅の広いバイタリティあふれる人だったので、なるほどなという感じです。

5. 巽先生・小谷先生との思い出

——海老原先生がSF研究やポストヒューマン研究されていく中で、巽先生から受けた影響はありますか?

海老原:巽先生との付き合いは長いといえば長いんです。大学時代、私は慶應のSF研究会に入っていました。巽先生がSF研究会の顧問をしていて、実は大学一年の時に既に会っていました。SF研の新入生歓迎会やOB会に行くと、巽先生と小谷先生もその場に来て最近のSFの話をしてくれていました。
 文学部は二年から専攻に分かれて三年からゼミですよね。それ以前からなんとなく巽先生の存在を知っていたので、英米文学専攻に行こうかなと思い、英米行くんだったら巽先生のゼミかな、みたいな感じでした。なので、巽研究会の人よりはプラス二年くらい巽先生を知っていたという(謎の自慢)。小谷先生も一緒にSF研にいらしていたので、この影響もあると思います。実際、小谷さんは色々遊んでくださって。小谷先生がやっているジェンダーSF研究会に誘っていただき、読書会やイベントに参加しました。大学生の時、アメリカのSF大会(ウィスコン)があった時にも一緒に行きました。そういう感じで、大学生の時からよく遊んでくれましたね。 
 巽先生や小谷先生はもちろん先生でもあるのですが、SFの世界のOBOGというか先輩というか偉い人というか……。大学の指導教官と学生というよりも、SFの師匠と見習いみたいな関係性かもしれないですね。

——飲み会などでは巽先生とやっぱりSFのお話をされていたんですか?

海老原:してましたね。二十年くらい経って、今思えばそれは役に立ってますね。何が役に立つか分からないものですね。

——巽先生とSFとの関わりが海老原先生の基礎になっているみたいな感じなんですか?

海老原:そうですね。あと、巽先生からは本をよく頂きました。巽先生がSF研のみんなをちょいちょいっと呼んで、私たちが家に行くといっぱいSFの本をサークル宛に寄贈してくださいました。それをサークルのみんなで読むことはしていました。サークルのSF力アップに繋がっていましたね。

——小谷先生からはジェンダーSFのいろはを叩き込んでもらった、と『ポストヒューマン宣言』のあとがきにありましたが、最近小谷先生とは会われましたか?

海老原:最近はもう二年くらい会えていないです。コロナ前のOB会で三年くらい前にお会いしたかと思います。OB会も私はちょっと顔を出すくらいの感じなので、あまり一対一で話せていなくて。本当はもっとご意見伺いたいなと思うんですが。

『ポストヒューマン宣言』の九章で扱った田中兆子『徴産制』はジェンダーSF研で賞をとっていたと思います。小谷先生とはジェンダーSFの話もしていたみたいです。今は直接のやりとりはしていませんが、間接的に小谷さんの後を辿っている感覚はあります。

——卒業後、大学の人とはいまでも付き合いがあるのでしょうか?

海老原:そうですね。先生はじめ、先輩・同輩・後輩とは。大学院修士を出てだいぶ経ちましたし、研究者でもないので、大学にはまったく行ってませんが、人付き合いは続いています。

——今は別のお仕事をされているんですか?

海老原:はい。サラリーマン仕事の合間合間に原稿を書いている感じですね。 

6. “Maniac”に研究を続けられた秘訣

——お仕事もする中で、一途に研究を続けられた秘訣というのはあるのでしょうか。

海老原:難しいですね(笑)。私は学部を出て、修士の大学院を出て、その後「博士まで来たら?」と言われたんですが、そこはやめて就職しました。博士は基本的には大学の研究者になるコースなので、この選択は人生の岐路だったと思います。
 好きなものでもずーっとやると疲れるから、適度に休みながらやった方が続くって話なのかもしれないですね。もちろん平日ずっと仕事して、家事育児して、そのあと本を読んだり原稿を書いたりというのはほとんど不可能なので、どうしても土日にやらざるを得ません。それだと時間に制限があるのは確かなんですが、と言って朝から晩まで自分の好きな研究だなんだをやり続けるというのもまたしんどいような気もします。程よく日常の中にSFをまぶして、色々なところで「あ、これSFだな」と発見する……という風に付き合って行った結果、長く続きました。そしてそれが蓄積されて、本になったのかなと思います。 
 SF界隈の人は兼業の人が多いです。作家さんも兼業だったり、ファンやライターさんもSFでお金を稼ぎながらも別の仕事も持っていたり。SFだけで食べていこうという人はあまりいないんです。そもそも市場規模も大きくないですし。ただ、みんなSFが好きで、離れたくても離れられずに一生の付き合いはしていくという感じですね。「〇〇をやめて△△で食っていく!」というのじゃなくて、ある意味ダラダラやるというか。 

7. 最後に

——海老原先生お気に入りの「ポストヒューマン」はありますか?

海老原:本で論じたどの人たちもいい人で、甲乙つけがたいです。『ポストヒューマン宣言』の中で強調したのは、みんな悩んでいるということです。ポストヒューマンと言うと、解脱し人間的な悩みがなくなった超越的な存在という印象があるかもしれませんが、色々な作品を見ていると全然そんなことはないですね。ポストヒューマンになること自体が苦悩や葛藤を生んでいます。そういう悩みが人間くさくて好きですね。

——最後に、ゼミ生に向けて何か一言あればお願いします。

海老原:私が大学生活で楽しいなと思ったのは、ゼミでのディスカッションや暇な時間に友達と文学ふくめ様々な話をしたことです。自分の好きな文学について、どれほど語ろうとも周りから引かれなかったのは(いやほんとは引いてたかもしれませんが)、大学のゼミだけかもしれません。今は大変な時期で、昨年からさんざん苦労したのではないかと推察しますが、演習やらゼミやら少人数&ディスカッションの授業は大事に、楽しく、一生懸命やると、いいと思います。そういうのが「大学っぽい」かも。

☆海老原先生、お話ありがとうございました! (聞き手:池田瑛莉)

海老原豊先生プロフィール
1982年生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科英米文学専攻修士課程修了。SF評論家。「グレッグ・イーガンとスパイラルダンスを:「適切な愛」「祈りの海」「しあわせの理由」に読む境界解体の快楽」で第2回日本SF評論賞優秀賞を受賞。著書に、共編著『3・11の未来:日本・SF・創造力』(作品社)、共著『ポストヒューマニティーズ:伊藤計劃以後のSF』(南雲堂)ほか。
(小鳥遊書房様のホームページから引用)

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