[名物企画]たつこた鼎談 ゲスト:佐藤光重氏

世界的米文学者の巽孝之氏、SF&ファンタジー評論家の小谷真理氏のお二人がゲストを招いて討議する名物企画「たつこた鼎談」。今回のゲストは巽ゼミを引き継がれた佐藤光重氏。 『Panic Americana』初代編集長の向山貴彦氏や先日発売された『脱領域・脱構築・脱半球』(小鳥遊書房)、そして「コスプレ」「川中島合戦戦国絵巻」「ポーの毛髪」と縦横無尽に繰り広げられた鼎談をご覧ください!!

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鼎談の様子
(左から)巽孝之氏、小谷真理氏、佐藤光重氏、4年榮光太郎

–ご多忙の中、弊誌企画に貴重なお時間を割いてくださいまして誠にありがとうございます。本日はどうぞ宜しくお願い致します。

一同:よろしくお願い致します。

「マニアック」“Maniac”とは?

–まずは巽先生、今年のパニカメのテーマ「マニアック」“Maniac”に関するご説明をお願いしても宜しいでしょうか?

巽:実は「ルーナティック」“Lunatic”も候補に挙がってたんだよね。どちらにせよ、何らかの形で現代文化において現状欠けているエネルギーはそういったものだろうね。“Maniac”の発音は「メイニアック」ですから、日本語の「マニアック」とはズレがあるかもしれないが語源的にはバッカスの巫女、つまり酒にまつわる「狂気」です。“Lunatic”だと “Luna”は「月」だから「月に憑かれてる」という意味で、“Fanatic”はもともと宗教的で、そもそも“Fana”は元は「寺」という意味合いの“fane”だから、まさにピューリタンは“Fanatic”だったと言われるゆえんでしょう。

巽孝之氏


 私の世代、昭和 30年代生まれは“Lunatic”と聞くとピンク・フロイドの名盤「狂気」“The Dark Side of the Moon”を連想するんですが、「月の裏側には何があるか分からない」というのは、やはりどこか狂気を誘う。あれはかつての仲間で発狂してしまった天才シド・バレットへ捧げるアルバムという意味合いがあるんだけど、そこはサイケデリック・ロックの原点回帰の意味もあったと思う。
 ポップソングでは“Maniac”というタイトルの曲は最低でも三曲はあるけど、特別好きなのは映画『フラッシュダンス(83年)』の挿入歌であるマイケル・センベロの「Maniac」ですね。「ピッツバーグの製鉄工場で働く労働者階級、かつダンサー志望の女の子がオーディション合格を目指す」という、アメリカン・ドリームとは何かを説明する際にもちょうど良い映画なんです。
 ブレイク・ダンスを取り込んだパフォーマンスが披露されますが、今はヒップホップ全盛ですからあのパターンは少し古いかもしれない。でも、取り憑かれた様にプロ・ダンサーというアメリカの夢に突き進む女の子の感情と重なるかのごとく先述の「Maniac」という曲が入ってくるのが絶妙なんです。それは単純に「労働者階級の女の子がスターになっていく」という映画の世界で留まるものではなく、この世界に生きる誰もが新しい文化を立ち上げて花開かせるためには一時期“Maniac”という「取り憑かれた様に没頭する時期」が必要なのではないかと感じさせるんです。

ところで「マニアック」といえば、そもそも『Panic Americana』初代編集長の向山貴彦君はやはり凄かった。「何かを創りたい」という気持ちに溢れていたね。

佐藤:当初のきっかけはそもそも向山君だったんですね。

巽:当時、自分で書いた小説を私に持ってくる学生が何人かいたんですよ。でも、彼を教えた 1995年前後というのは、私もまだ『三田文学』の理事を務める前でしたから、小説を貰っても持って行き場がない。にもかかわらず、向山君はやたらと小説を持ってくる。しかも英語でね(笑)そしてある時、遂に本を出すと言い始めた。今で言うDTP(Desk Top Publishing)を用いて、長編小説の原稿執筆も、友人によるイラストレーションや製本、造本のデザイン、全て自分の采配でね。すでにスタジオ・エトセトラという小さな会社まで設立していたんです。 IT産業が蔓延する21世紀では、学生による起業も珍しくありませんが、今から四半世紀前には画期的だった。

小谷:凝り性だったよねぇ。

巽:まさに“Maniac”だね。

佐藤:凄いバイタリティーや行動力の持ち主で、何でもテキパキできる人でしたよね。彼と初めてじっくりと話をしたのは三田で開催した日本アメリカ文学会全国大会で日野啓三さんが講演をされた時だったんです。日野さんのご体調が優れない時でしたから教室のひとつを休憩室にあてて簡易な医療設備を用意したのですけど実はそこの担当が私と向山君でしてね。彼がテキパキと設営をしてくださったものですから、あの時は驚いた。凄く飄々と明るく話す方ですよね。その日は同じ係という事もあり日野啓三さんを待ちながら色々なお話をしました。

巽:そうか、そういう接点があったんだね。実はあの大会が行われた 1997年には読売新聞の読書委員をやってて、委員会で以前から愛読していた作家の日野啓三さんとよく話し合うようになったので、大会の特別講演者として招聘したんですね。彼はその頃、エミリ・ディキンスンやアンドルー・ワイエスをモチーフにした最後の長編小説『天池』に取り組んでいたんです(刊行は1999年、詳細は下記URL http://www.tatsumizemi.com/2000/02/miscellaneous-works_7504.html)。
だから当日は午前中から接待やら司会やらでバタバタしていた。今の話を聞いて、25年近く経ってやっと楽屋裏を見た気がします(笑)
 私は、向山君に出会う前までに既に5冊ほど単著を出していましたけど、基本的にイラストや表紙、紙質は全て編集者にお任せ(笑)でも、向山君はそれを逐一、全て決めようとしていましたから、新時代の到来を感じたものです。

小谷:厳しかったよねぇ(笑)フォントやら紙質やら表紙の色校とか、、

–Maniacだ、、

巽:「イメージと違うから」と言って、本を作ってる最中に輪転印刷機を止めた事もあった。“Maniac”であり完璧主義者。作る前からもう既に自分の頭の中に出来上がった本のイメージがあるの。DTP的な感覚って今では普通の事だけど。

佐藤:巽先生はご自身で要望を出されているんですか?

巽:最近は自分で決めますよ。『日本 SF論争史』(勁草書房、 2000)、『反知性の帝国 アメリカ・文学・精神史』(南雲堂 2008)、『モダニズムの惑星』(岩波書店、 2013)を担当していただいた廣田清子さんには『パラノイドの帝国』(大修館書店 2018)でもお願いしました。ただしそれ以前は、筑摩書房との仕事が多かったので、編集部の提案で新鋭の木庭貴信さんにお願いし『アヴァン・ポップ』(筑摩書房、1995)や『ニューヨークの世紀末』( 筑摩書房、1995)、『日本変流文学』(新潮社、 1998)の斬新なデザインを手掛けていただいた。本の内容を意識した、実にトンガったブックデザインを施してくださいました。

佐藤:私や大串先生がデビューさせていただいた『物語のゆらめき』(南雲堂)も確か、、

巽:あれも木庭さんですよ。実は『物語のゆらめき』と『アヴァン・ポップ』とは、ブックデザイナーが同じ人なんです。

佐藤:いやはや、そうでしたか。小谷さんもご自身でデザイナーをご指名される事もあるんですか?  

小谷:私はほぼ丸投げが多いかな(笑)編集者の方が「小谷さんはこういうデザイナーさんがイメージに合うと思うので!」と提案してくださる事が多いので、任せてみるのも面白いですから。でも、笙野頼子さんの書籍をデザインされているミルキィ・イソベさんには良くご依頼します。書籍の装丁の他にはポケモンのモンスターを作っている方です。『ハリー・ポッターをばっちり読み解く7つの鍵』や『テクノゴシック』もミルキィ・イソベさんなんです。あの方も良い意味で物凄い凝る方ですね。

小谷真理氏

巽:そうそう。デザイナーを指名するのは今ではある意味当たり前な訳ですけど、向山君と出会った時は編集者任せが主流だったな。ちょうどその頃、ゼミに色々な才能を持っている学生がいるから「雑誌でも出そうか」と提案したら「巽先生、やりましょう」と。一応、名目としてはOBOG会のための名簿だったので、最初期は巻頭に名簿が付いてるんですよね。これがパニカメの起源。

小谷:個人情報保護法とか全然関係ない時代(笑)

佐藤:研究室棟には先生方のご自宅の電話番号や住所が記載された冊子も置いてありましたよね。学生が自宅に成績の相談に来てしまう「事件」が当時は度々ありましたが、自宅が割れていたから仕方ない節もある。『Panic Americana』も名簿だったんですね。

巽:「名簿」として出したはずなのに、向山君が勝手に自作の英語小説やその広告ページを載せていった(笑)。当時はいつ出るかわからない本の広告じゃないのか、と思ってたんだけど、その後本当に幻冬舎文庫で『ほたるの群れ』シリーズが刊行されるんだから、舌を巻いた。

小谷:あとはおまけが凄かったね。というのも、彼は物凄いゲーム・マニアでしたから。今日撮影のために同席してくれてる山口君(2期)や大串先生(2期)とか、巽ゼミの関係者をキャラクターにした双六を作ってみんなで遊んでた。突然「ゲームを作ってきました。これをパニカメのおまけに付けます」と言い始めて(笑)マジ面白いゲームだったね。

巽:もちろん作家としての才能もあるんだけど、彼はムードメーカーとしても凄いものがあった。スタジオ・エトセトラにも何度か行ったよね。毎回ゲーム大会になるんだけどさ。

佐藤:先生ゲームとかされるんですか?

巽:その時々で、習うのよ。

小谷:やった事ないのにね。彼の本棚の上にはドイツのボード・ゲームの箱が天井まで積んであって「どれがいいですか?」って(笑)「小谷さんはファンタジー好きだからファンタジーのゲームをやろう」。「フェアリーランド」とか取り出して。「でも最初は体を慣らさないといけないからピクショナリー(連想ゲーム)やりましょう!」ってやらされるんですよね。それが終わるとまた次のゲーム、延々と終わらないのよ(笑)

巽:一晩中やったね。

小谷:その間にむこちゃん(向山さん)が食事作ってくれるのよ。

巽:彼はテキサス生まれテキサス育ちですから、作ってくれるのもテキサス流のハンバーガーで、飲み物はドクターペッパーに決まってる。

小谷:今は『ゆるキャン』の影響もあって身近なものになったけど、スモーク用の段ボールの箱って当時としては珍しかったんだよね。彼は自分で肉を燻製にしてね。

巽:「テキサス流ゆるキャン」だね。「ドクターペッパーは好きじゃない」と言ったら「いや先生これはテキサスのソウルフード、ソウルドリンクなんです」って。

小谷:それでむこちゃんの作ったものを食べたら即「はい!次のゲーム!」(笑)

巽:パニカメの歴代編集長は制作期間になると彼のスタジオ・エトセトラに行ってDTPやらレイアウトやらを教わってたんだよ。その時にもやっぱりゲームをさせられてたみたいだね。
 5、6号までは向山君が面倒見てくれてたよ。それで新世紀になると今度は奥田詠二君という傑物がゼミに入ってくる。やはり物凄くDTP出来てね。エズラ・パウンドで書いた卒論は非常に良かったんですが、パニカメの編集に病みつきになってしまい(笑)彼は恐らく最初の「パニカメ留年」をした人間じゃないかな?
 その後は奥田君はめでたく慶應義塾大学出版会に入社するんだけど、しばらく後輩編集部員の面倒を見てくれてましたね。前後するけど、 新世紀になる直前の 1999年には、ゼミ代だった永野文香君が、今の「カフェ・パニック・アメリカーナ(CPA)」を作ってくれました。学部ゼミ・レベルで、しかも以後四半世紀継続しているものとしては、我が国では唯一無二でしょう。永野君が大学院に入った後に奥田君に交代し、以後何人か挟んで、今の加藤有佳織&小泉由美子体制になって安定しましたね。その流れで本年度からはウェブ・マガジンも可能ではないかという発想になったんですよ。

佐藤:こうしてパニカメの長い歴史をお伺いすると、巽先生の研究室を引き継ぐ事になった際の不安を思い出します。アナログな人間が急にウェブ・マガジンを作る事になり、こんなにすごい伝統を引き継げるのかと。

巽:でも学生が優秀だから大丈夫ですよ。他の先生がどうしているか分かりませんが、我々が全て面倒を見てしまうとやはりそれは良くない。放っておくと逆に学生が頑張るので安心です。
 そんな我がゼミの歴史を改めて思い返すと、いかに初期に向山君や奥田君の様な名物編集者がいたとはいえ「毎年編集部が変わる雑誌」が26号まで引継ぎがれてきたという事は奇跡と言って良いですね。毎年、編集部が変わるとなるとダメな学年が出てくる可能性はあるのに何故か続いている。26年と言ったらDTPの技術も変わりますから、向山君の技術も古くなっていく。しかし、その「ソフト」も更新されて続いているというのは非常に面白い事ですね。巷では SDGs(持続可能な開発目標)がさんざん叫ばれてるけど、それはパニカメ&CPA体制の継続的活動形態そのものですよ。うちのゼミは、とっくにやってたんだ。

佐藤:先輩の面倒見も良いんでしょうね。今日も山口さんと榮君(26号編集長)が技術的な話をしていて、私は端で聞いてて「ああよかったなあ」と。ほっとして血圧が下がる思いがする(笑)

巽:何もしなくても進んでいくよ、今年は榮が頑張るからね。

–頑張ります(泣)

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