【佐藤光重氏エッセイ2022】福澤の夢、ホイットマンの夢

0
60

 巽孝之先生が慶應ニューヨーク学院の学院長に就任されてからまもなく先生は慶應生がニューヨークで学ぶことの意義について新しい標語を作られた。それがトライカルチャー(triculture)である。その三つの文化とはアメリカ、日本、そして慶應の文化である。この三つは慶應においては決して別々に分かれているのではなく、分かちがたく結びついているものであろう。その有様は、遣米使節の一人としていち早くアメリカの地に足を踏み入れた福澤の足跡にも辿れるものである。『福翁自伝』を読むと、福澤はアメリカに文明を探し求めただけでなく、文化にも旺盛な好奇心を発揮していることが分かる。文化のなかでもそれでは福澤とアメリカ文学との邂逅はというと、いろいろなニアミスの果てに重要な文学的要素を福澤は日本に輸入しているとも見える。その様子を以下に記していきたいと思う。

アメリカ文学とのニアミス/接近

 福澤は遣米使節団の一員として二度アメリカへ渡っており、その一回目の渡航からアメリカ文学とのニアミスがある。太平洋を横断するにはそれなりの船が必要であり、『福翁自伝』の章「初めてアメリカに渡る」は当然のことながら船の手配についての話題で始まる。福澤が乗船するのは、『福翁自伝』によると船に酔ってばかりの勝海舟が名ばかりの船長を務める、徳川幕府がオランダから買い入れた咸臨丸である。日本の技師のみでサンフランシスコまで太平洋を横断してみせんと意気込む無鉄砲な乗組員を説き伏せて幕府の政府側がこれに同乗させたアメリカ人航海士がおり、名をジョン・マーサー・ブルック(John Mercer Brooke, 1826-1906)という。この航海士は横浜沖(『福翁自伝』には「薩摩沖」とあるが、岩波文庫版、富田正文の註によると福澤の記憶違いらしい)で海底を測量していた折に乗っていた船が難破したため徳川幕府の保護を受けていた。この度、サンフランシスコに向けて幕府が軍艦を派遣すると聞いてこれ幸いと便乗を申し出たのであった。『福翁自伝』には、この航海士が乗っていた難船の名を「ヘネモコパラ号」という奇妙なカタカナで記してある。注釈を見ると同船の英語表記はFenimore Cooper号とあって、これは言わずと知れた国民的大作家、代表作『モヒカン族の最後』(The Last of the Mohicans)を含む皮脚絆物語の作者名である。この船名がヘネモコパラ号として『福翁自伝』にそのまま記されていることからも分かる通り、出版の1899年当時でもこれがアメリカの代表的な文人名であることは福澤の意識にはなかったようだ[1] … Continue reading

 この万延元年の遣米使節団が乗った船は咸臨丸だけでなく、アメリカ側からも一艘の軍艦を迎船として派遣しており、その船は『福翁自伝』に「ポーハタン号」(Powhatan号)と記してある。これは当時の変則英語でもヘネモコパラほどの音の変換は起きない綴りではある。この名前はアメリカ史およびアメリカ文学史を少しでも学んだ者であればこれまた有名なアメリカ先住民の部族名にして部族長(1550?-1618)の名前から取ったものであることがすぐに分かる[2]ディズニー映画にもなったアニメ『ポカホンタス』は、アメリカ植民地開拓者ジョン・スミス(John Smith, … Continue reading

 だがこうしたいわれのある船名であることも『福翁自伝』には説明がなく、アメリカ文学研究者としてはいささか福澤から「既読スルー」された感じも否めない[3] … Continue reading。とはいえ、1854年にはペリーが艦隊を江戸湾に停泊させたときの旗艦であったことや、吉田松陰が密航を企てたことも含めてそれは自伝の文脈とはかかわりのないことなのであろう。

 当のポーハタン号はというと、ハワイを経由(咸臨丸はサンフランシスコまで直行を敢行したので水の節約が死活問題となったことが自伝に記してある)、サンフランシスコに停泊したのちにパナマ地峡まで使節団を送った。のち一行はワシントン、フィラデルフィアを経てニューヨークに行くことになる。一行はニューヨークのバッテリー(the Battery)より上陸することになるが、ここで日本の使節団を迎えるためニューヨークでは歴史的なパレードが開催された。一団が上陸したバッテリーはハーマン・メルヴィル『白鯨』(Moby-Dick)の第一章「まぼろし」(これは八木敏夫訳。坂下昇訳では「影見ゆ」と訳される。原題 “Loomings”)で語り手イシュメール(Ishmael)があたかも死への衝動に駆られるようにして海を目指してやってくる場所である。かのパレードは詩人ウォルト・ホイットマンもジャーナリストとして見物に来ており、太平洋を横断して民主主義の連帯が生まれる期待と感動を詩 “A Broadway Pageant”(1860)に描いている。この作品はやがてホイットマンの代表作「インドへの道」(“Passage to India”, 1871)に結実していく諸作品の一つである[4]Martin Doudna K., “ ‘The Essential Ultimate Me’: Whitman’s Achievement in ‘Passage to India.’” Walt Whitman Quarterly Review, vol. 2. no. 3, 1984, pp. … Continue reading

Walt Whitman 

 サンフランシスコで日本人見たさに黒山の人だかりができ、日本人のために毎度の食事に魚を用意したり風呂を準備してくれたりと下にも置かない歓待ぶりであったと『福翁自伝』に述べてある(112-13頁)。しかし福澤や中浜万次郎(ジョン万次郎)が乗船した咸臨丸はサンフランシスコからハワイを経由して日本に帰航したので、ホイットマンは福澤のいる一団を見ることもなく、福澤は『白鯨』冒頭の場面に足を踏み入れることもなかった。これはマーク・トウェインが『艱難辛苦を乗り越えて』(Roughing It、1872年。『西部放浪記』とも訳される)でハワイにまで到達し、いったんは日本行を検討するが引き返してしまったエピソードにも近い、アメリカ文学と日本との痛いニアミスである。とはいえ、エイハブ船長が白鯨と死闘を交わす日本近海を航行したのであるし、咸臨丸に同乗した中浜万次郎(もちろん井伏鱒二『ジョン万次郎漂流記』の主人公)はかつてアメリカの捕鯨船に救出され、やがてはニュー・ベッドフォードから捕鯨船に乗ったこともある、作家メルヴィルにも似た経歴の持ち主であった。これらの事柄は自伝にはことさら記されていないが、たびたび福澤は知らぬ間にアメリカ文学と接近していたのである。

References
1 ただし、この船名の綴りを福澤は知らなかったかも知れず、難船の名前が日本語訛りのまま福澤に伝わっただけであるという可能性も否定はできないが。福澤自身であれ、あるいはその船の名を伝えた日本人であれ、当時の日本人が英語の原音とはかなり異なった発音表記をしていることには理由がある。川島幸希『英語教師 夏目漱石』によると、幕末から明治初期に英語の読解に「正則」と「変則」という区別があり、ここでいう「変則」とは「福澤諭吉の慶應義塾を筆頭に(中略)英語教育で最初に主流となったのは、英文の上に英語の発音に近いカタカナを振り、英文の下に単語 の意味とその訳す順番を記入する教授方法」(82頁)のことを指し、いわば漢文を今日でも学校教育で訳読するような方式が英文解釈にも当てはめられていたためである(もっとも漢文をほとんど読ませない高校も少なくないようだからこの比喩も通じにくい時代になったか)。これに対して、より自然な英語の発音や構文理解をするのが正則であり、慶應義塾にも正則科があったが「明治二十年代になっても現実の英語教育の主流は変則であった」(83頁)という。『福翁自伝』はそもそも明治31(1898)年7月から翌年2月まで『時事新報』に連載されたものであるが、そこに語られる事柄が起きたころはまだ変則の英語解釈が主流の時代であった。 
2 ディズニー映画にもなったアニメ『ポカホンタス』は、アメリカ植民地開拓者ジョン・スミス(John Smith, 1580-1631)がこのポーハタン率いる先住民の捕虜となったとき、ポーハタンの娘ポカホンタスに救い出されたというアメリカ開拓史における「伝説」をもとにした作品である。そもそもの救出劇を記したスミスの開拓地宣伝文学の記述も眉唾ものであるが、その「美談」をPC (political correctness)と大衆娯楽との狭間でさらに脚色が施されているためアメリカの歴史観を考える上では興味深い作品でもある。映画というものは映画館で見るのが本来の在り方と主張し実践もするアメリカ文学者、鈴木透の『現代アメリカを観る―映画が描く超大国の鼓動』(丸善ライブラリー、1998年)には、いち早く本アニメのディズニー作品史における重要な意義が指摘されている。
3 後述する、二度目の渡米時に購入した書籍リストにはアメリカ史の概説書や教科書があり、『西洋事情』を記すにあたってこれらの書物を福澤は読んでいたであろう
4 Martin Doudna K., “ ‘The Essential Ultimate Me’: Whitman’s Achievement in ‘Passage to India.’” Walt Whitman Quarterly Review, vol. 2. no. 3, 1984, pp. 1-9を参照されたし。開国期の日本におけるアメリカのインパクトについては、Foster Rhea Dulles, Yankees and Samurai: America’s Role in the Emergence of Modern Japan: 1700-1900. Harper and Row, 1965.

返事を書く

あなたのコメントを入力してください。
ここにあなたの名前を入力してください