[西山祥・映画レビュー2021]Ba. Nishiyama or: How I Learned to Stop Working and Love the Film

巽ゼミ30期OG・パニカメ25号編集長の西山祥さんによる映画レビュー企画・第一弾!!卒論講評にて「アダプテーション研究に新たなる一ページを付け加えた」と巽先生に言わせしめた西山さんが幅広い映画知識と鋭い洞察力で『プロミシング・ヤング・ウーマン』に切り込む。「西山節」と呼ばれる事になるであろうチャーミングかつハードボイルドな言い回しにも注目です!!

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Promising Young Woman
『プロミシング・ヤング・ウーマン』(2020)
~ハードボイルド・女性性賛歌としての可能性~

https://youtu.be/wEaynMcWyNA

 Charli XCXの楽曲「Boys」(2017)にのせて、クラブで腰を振る男性たちの下半身をスローモーションで映す冒頭が暗示するのは、この作品が、これまで女性が撮られてきたのと同じ方法で男性を撮り、男性が撮られてきたのと同じ方法で女性を撮る試みであるということだ。
 医大を中退し、コーヒーショップで働く30歳目前のキャシーは、夜になると泥酔したふりをすることで男性たちにわざと「お持ち帰り」され、合意なきセックスを遂行しようとする彼らに何らかの制裁を加える。彼女の行動の背後には、医大時代の友人ニーナを同級生の男性によるレイプ事件で亡くしたという過去が付きまとっている。しかし、レイプ・リベンジ映画ともいうべきこの映画において、復讐の過程で当然なされているべき暴力はほとんど描写されない。復讐のたびに、彼女はメモ帳に男性の名前と復讐の回数を記録するための線を引いていくが、線が赤、青、黒で色分けされている意味は明示されず、早朝に男性の家から裸足で帰宅する彼女の腕に伝う一筋の赤い液体も、手に持ったホットドッグから零れ落ちたケチャップなのか彼女が仕留めた男性の血液なのか、わからない。
 

 ある日、キャシーは医大時代の同級生ライアンとの再会をきっかけに、かつて旧友ニーナに暴行を加えた同級生アル・モンローが近々結婚することを知り、レイプ事件の関係者に復讐することを決意する。事件当時、「一つの疑惑のために将来有望な男子学生の人生を潰すわけにはいかない」としてアルを庇った女性の学長や、「望まないセックスを強要されていても酔っぱらっていたなら自業自得」と主張する同級生の女性も、彼女の復讐計画には含まれる。キャシーが学長の娘をダイナーに置き去りにしたり、泥酔した同級生をホテルの一室で男性と二人きりにしたりするだけで、彼女らは自身や家族がレイプされたかもしれない可能性を初めて想像し、レイプ事件の被害者の心情をはじめて深刻に想像するようになる。

 

 しかし、純粋な怒りは別として、淡々とキャシーの行動を時系列順に映し出す映画の語りからは、これらの復讐を実行するキャシーの心情を読み取ることはできない。彼女がニーナを心の底から敬愛していたことはセリフや小道具で示されるが、彼女が過去を回想することはなく、したがって、回想シーンなども一切ない。さらに、当時のパーティーの現場を映した動画が仲間内で共有されていたことが後に判明する際も、学生たちが楽しそうに笑いながら「やべーよ」と言いあう音声とキャシーの絶望的な表情を除いて、観客に提示される事件についての情報は極度に制限されている。

 本来、復讐を描くサスペンス映画において、その行為に伴う暴力をいかにリアルに見せるかは重視されてきた要素である。被害者が受けたひどい仕打ちを観客が目の当たりにすることで、物語における復讐が正当化されたり復讐者に共感や同情の念を抱きやすくなったりするためだ(『マッドマックス』(1979)や『キル・ビル』(2003)、『ジョン・ウィック』(2014)、『デッド・プール2』(2018)など)。しかし、この映画で主人公キャシーが打って出る暴力は、あくまで直接的な描写を避けて語られる。暴力が直接映し出される数少ない場面の一つに、車道の真ん中で停車したキャシーに罵声を浴びせる男性ドライバーの車を彼女がバールで破壊するシーンがあるが、復讐譚とは関係ないこの部分で描写される暴力が何の意味をもつのか汲み取ることは難しい。むしろ、キャシーの内面を表現することを意図的に避けているようにすら思われるのである。


 これらの演出は、この作品が一種のハードボイルド映画であることを暗示している。いわゆるハードボイルドものは個人の内面を子細に描かず、出来事のみを淡々と映すことが特徴である。また、殺人などの暴力描写を間接的に描くことが多い点もこの特徴にあたる。例えば、レイモンド・チャンドラーの『大いなる眠り』を原作として作られた映画『三つ数えろ』(1946)で、探偵マーロウ(ハンフリー・ボガード)に追い詰められた黒幕は、自分の部下に銃で撃たれて死ぬが、このときカメラは銃弾が直接体に打ち込まれる瞬間を捉えない。黒幕がドアを開けて出て行った途端にドアの表面に無数の弾痕ができる様子を部屋の内側から捉え、ドアを開けて内側に入ってきながら崩れ落ちる黒幕を再度捉える、という段取りで間接的に出来事を描写する。ほかにも、暗闇に銃声が響いて次の瞬間には人が倒れている、という場面はハードボイルドものには数多く登場する。

https://youtu.be/Jof9NwrhKSI?t=172


 さらに、このジャンルには探偵という職業が主人公の属性として多用されるが、この映画におけるキャシーの立ち位置はこれに近い。事件の被害者として死んだニーナに代わって粛々と果たされる復讐は、もはや親友を亡くしたことへの私怨からではなく、被害者の代理人としての行動なのである。ニーナの母親はキャシーが親友の死にとらわれずに前に進むことを願っており、再会したライアンと恋仲になったキャシーは幸せそうに見えるが、復讐のきっかけを掴んだ彼女はそれを離そうとはしない。かといって、世界中で起こっているレイプ被害についての首尾一貫した主張が彼女によって表明されるわけでもない。それは、彼女の目的が、女性の社会的地位を向上させたり、女性性を男性に尊重させたりすることではないためである。キャシーは社会的、普遍的な正義に奉仕する役回りを与えられているわけではない。死んだニーナの代理人として復讐を遂行する、ハードボイルド映画における「探偵」なのだから。
 

 ところで、この復讐譚とは別軸で、大学時代の知り合いライアンとキャシーとの恋愛描写もかなりの尺をとって描かれる。作中に多く登場する飲酒シーンの中で、グラスに注がれた液体の水位が高いほうの人物が後の展開で優位な立場になるという法則性がある(脚注:キャシーを持ち帰った男性が彼女をさらに酔わせようと彼女のグラスに酒をたっぷり注いだ後、彼女は本性を露にする。また、同級生の女性がワインを飲み続けて水かさを減らす一方で、キャシーのグラスには注がれたままの手をつけられていないワインが残っている)。これに対して、ライアンとキャシーのデートでテーブルに置かれた飲み物の水位は同じであり、二人が釣り合いのとれた関係を築いていることが示されている。薬局でパリス・ヒルトンの「Stars Are Blind」(2006)を口ずさみながら踊るライアンにキャシーが惹かれるのは、彼がアメリカにおける美的価値観や女性性そのものを商売道具にしているパリス・ヒルトンを受容しているためである。
 

 このラブコメ的展開は、世の中には女性性を尊重したり無理やりセックスしようとしなかったりする男性もいる、というエクスキューズの側面以外に、ライアンを「復讐見届け人」として確立させるための物語的機能を併せ持つ(脚注:例えばレイモンド・チャンドラーのハードボイルド探偵小説『大いなる眠り』(1939)では、謎多き美女カルメンが探偵の動きを見届ける人として配置されているし、村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)では、博士の太った娘や図書館の司書、「世界の終り」における女の子がその役割を担う。ニコラス・ウィンディング・レフンのサスペンス映画『ドライヴ』 (2011)では、彼と関係を持つ人妻アイリーンが見届け人である)。ニーナの事件当時、彼がアルとニーナの加害行為を仲間たちとともに笑って見ていたことが後にわかるが、この時からすでにライアンは事件を見届ける者としての役割を担うことを余儀なくされていたのである。
 

 アルの独身最後のパーティーで、キャシーは復讐のさなかにアルの反撃を受けて死ぬ。アルは仲間とともに殺害の証拠隠滅を図るが、キャシーは事前に殺されることを予期して弁護士に証拠のビデオを送付し、警察に通報するよう指示していたため、遺灰を発見した警察がアルの結婚式にやってきて、彼はライアンやほかの参列者の目の前で逮捕される。この時、ライアンのスマートフォンにキャシーからの予約メッセージが届く。


 「これで終わりだと思ってないよね?」「ここからだよ」「結婚式楽しんで!」「ニーナとキャシーより」「(ウィンクの絵文字)」ここでライアンが事の顛末を目撃していることは、「見届け人」としての役割上、非常に重要であることがわかる。

 従来のハードボイルド小説や映画の主人公は男性であり、「見届け人」の役割の多くを女性が担ってきた。『プロミシング・ヤング・ウーマン』は、踊る男性たちの下半身をスローモーションで見せる冒頭をはじめとする作品全体で、ハードボイルド映画における男と女の立場を徹底的に逆転させて描きなおす。主人公の心情を描かないことや露骨な暴力描写を排除することは、男性への復讐をテーマにした女性向け映画に仕立て上げるための妥協ではなく、ハードボイルドの伝家の宝刀、ミニマリズムの流儀に従って恣意的になされた、皮肉に満ちたウィンクなのである。

Information

西山祥さんTwitterアカウント:https://twitter.com/shoooo0000o
西山祥さんの卒業論文(巽ゼミHP):http://www.tatsumizemi.com/2021/03/2020_14.html
巽孝之先生による西山卒論講評(巽ゼミHP):
http://www.tatsumizemi.com/2021/03/2020_14.html

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