[編集後記]裏パニカメ(26号編集長・榮)

12月4日にOBOG会でのパニカメリリースを終え、満身創痍の26号編集長榮がエディターズ・ハイの真っ只中、制作秘話を画像(動画)で回想。

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あ”〜〜〜、やっと終わった!!!!


今、12月5日の深夜3時半。つまり『Panic Americana Vol.26 Maniac』のリリース日である12月4日のOBOG会が終わって数時間経ったところ。それにしても今年のOBOG会は去年に負けず劣らず見事な運営で、危なげが無かった。4年の篠碕君をはじめとするOBOG会係の皆さん、同じゼミ生として尊敬します。本当にお疲れ様です!!

パニカメのリリースも無事に(?)終わって本当に良かった。一時はどうなるかと思ったけど、巽先生と佐藤先生、小谷様、長澤様、海老原様、白川様、そしてOB山口様のご協力で最高のものが出来上がった。まだまだお世話になった人がいる、せっかくWEBで文字数制限も無いから一気に書き出してみよう!

レッツゴー!!

「たつこた鼎談」の文字起こし・構成で多大な協力をしてくれた3年編集部員の関根さん、海老原様インタビュー企画を快く引き受けてくれた同じく3年の池田さん、白川様企画にて粘り強く編集を続けてくれた4年の銘苅さん、超多忙なのに快くインタビュー・写真撮影を引き受けてくれた4年&WATWINGの八村君、「映画レビュー書いてください」という突然の無茶振りに見事に答えてくださった30期OG西山さん(25号編集長)、榮に「これどうやんの?」と1ヶ月で100回は聞かれたであろう我が友人小林クン(SFC修士1年)、そして御広告を作成してくださった各出版社の皆様方。「バナー広告」というあまり馴染みのないものを素晴らしいクオリティで作り上げてくださり、本当に感謝しかございません。そんな素晴らしい広告を汚す訳にはいきませんから、本記事は広告オフにしております(小林クンのHPに飛ぶテスト期の設定です)

もうここまで来たらせっかくだから原稿の締めをぶち破った愉快な友人達にも感謝しておこう。ありがとう〜〜〜!!とはいえ本年度から「ウェブ・マガジン」な訳で、印刷所への提出期限が無いンだわ。それはもう「原稿を出すまで催促し続ける」って事ですから、そこは宜しくお願いしますね〜!


誰にも言ってなかったけど、ウェブへの移行でパニカメの「手作り感」が無くなるのが実は凄く嫌だった。だったらせめて「色んな人を巻き込んでやろう」「自分の好きな人達と一緒に何かしたい」と周囲の人に声をかけてガムシャラにやってみたけど、我ながらそれになりに成功したと思う。あと「所々ふざけよう」、これも個人的テーマ!

あー、楽しかった!

で、なんだっけ?編集後記か。ゼミ生に「書けば?」と言ってもらったから満身創痍、エディターズ・ハイの中、今こうしてキーボードを叩いてる訳だけど、正直本年度のパニカメの制作期間中に何があったのか振り返るのは難しい。というのも、色々やり過ぎたから。
昨年は珍巻頭言「The Long Goodbye for Takayuki Tatsumi ~でも、さよならなんて云えないよ~」や大和田俊之先生インタビュー企画「巽ゼミ生のためのヒップホップ入門」、映画レビュー・ページの「Panimarks」(Filmarksのモロパクリである)、あとはラリー氏エッセイのデザインなんかもした訳だけど、今年はもう、なんというか、大体の事はやった(先述した白川様・海老原様企画はノータッチ、編集者のお二人本当にありがとう)。朝も昼も夜も関係なく、とりあえず延々とパニカメのことを考えていたので、何十日かの記憶が一緒になってボヤッと「パニカメに没頭していた時期」として記憶されている(泣)


だから、今回は画像を頼りにして、本年度のパニカメ制作を振り返ってみる事にした。雑誌編集、特にウェブ・マガジンとは面白いものでほんの少し指を動かすだけで、おもしろ珍事件が発生(させる事が出来る)する。インタビュー企画や鼎談ではこんなもの載せられる訳がないのだが、まぁここなら許されるだろう。これだけ真っ当に各業務をこなした後に言うと矛盾してそうだが、ここ数年のパニカメは真面目過ぎる。「これ、巽先生よく許したな、、」と思ってしまう記事を制作していた過去のパニカメ編集部の先輩に敬意を表して、ここは一つ全力でふざけよう。優秀さでは歯が立たないが、ふざける才能は佐藤(巽)ゼミでもピカイチの榮。「裏パニカメ」「無修正ver」、、何とでも言えるが、とりあえずここは「治外法権」(脱領域)という事で!

え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜と(カメラロールを漁りながら)

あ、これはOBOG会直後の榮のデスクトップ、カオスとはこの事。恐ろしい事にこの「パニカメ26」の中にある各ファイルに数十個の画像やらテキストデータやらが入っている。ひぇえ〜

今回のウェブマガジン制作に関して「どうやったの?」とよく聞かれるが、作業後半はこんなこともしていた。ここまで来ると先述した友人・小林クンに丸投げしていた気もするが、出来る限り挑戦はしていた。んー、いま見てもよく分からん(現在サイトが動いてるのは奇跡です)

この小林クンとは14歳からの付き合いで未だにずっと一緒にいる。あいつにあまり感謝はしたくはないが、やはり今年のパニカメの立役者であろう。ありが〜〜t。外部の人間を使って良いのか、という声が上がるかもしれないが、それは知らない。ただ、彼がいなければ今年のパニカメは無い。

これが小林クン
本年度のパニカメは数千本のタバコが支えている、JTから広告取りたい。

ちなみに「たつこた鼎談」のアイキャッチ画像、よく見ると巽先生の腕が佐藤先生の領域まで貫通しているのだけど、気が付いた人、いるだろうか?

こまけぇ〜〜〜!!実は本年度のパニカメはこういう隠し要素が至る所に隠されている。見つけた方は是非榮まで〜!上のコラージュ画像は「なんか面白いじゃん」という事で、謎の技術力を持つ小林クンが制作した。以下の動画はその様子。恐ろしい事にこれ、OBOG会当日の朝6時とかなんですよね、、

キメラ生成の瞬間

いやはや、「ゼミのために」とか「先輩達の歴史を引き継ぐために」というのも嘘ではないけど、まぁここまで見てもらえば分かる様に「ずっと遊んでいた」だけである。「疲れた」だ「がんばった」だなんだ言っているが、結局それは遊び疲れているだけで自業自得もいいとこ。
いや〜、パニカメは最高の遊び場だ。家でも小林クンの家でも、カフェでも電車でも、パソコンを開けばそこにおもちゃの山があった。この「没頭」による「電脳世界」での「構築」ってそれもう「マニアック」やーん!と途中で気が付いたが、ここら辺を深めると普通に良い事を書いてしまいそうなので割愛。僕はふざけたいのである。では我々クソコラ職人、渾身の一作をここで披露しよう。ジャン!

あー、面白い。

一応、ちゃんとしたメイキングみたいなものもある。さっき少し触れた八村君の撮影を三田キャンパス東館で撮影していた榮の様子を他のゼミ生が撮影していた。これは普通に良い写真だし、何より三田キャンパスの映え度が凄い(僕は三田キャン嫌いだが、、、)

ナイスショット!!八村君を撮る榮を見守る佐藤先生を撮った写真な訳で、超良い。こういうのが沢山あればさぞまともな編集後記になった事だろう。だが、そんなものは無い。

フッター画像(サイト下部の写真)をどこぞの知らん人達の集合写真にしたり(余談だが、僕は全くの他人の家族写真を見るのに一時期ハマっていた)、自分の免許を挿入したりして遊んでいた。本当に気が狂っていた時は「佐藤ゼミを”血に塗られた殺戮ゼミ”として推したい」と言いながら血のテーマを探して、必死で写真に適用していた。マジで何なんだ。

 

僕がどれだけ本気でパニカメを愛して、楽しんでいたか、少しは伝わっただろうか?

これからパニカメを作る事になる現3年生、そしてまだ見ぬ後輩達は「ウェブに自分が書いた/編集した記事が載るなんて、、」と不安になる事もあると思う。そんな諸君は是非この「裏パニカメ」を読み、「こんなふざけた奴がいたなら大丈夫か!」と感じていただきたい。どんな試みもお遊びもそこに「熱意」があれば巽先生や佐藤先生は許してくださるはず(多分ね?)。今回、苦労して作ったこの僕の「遊び場」が「みんなの遊び場」になってくれれば光栄だ。とはいえ引継ぎ含め当分パニカメに関わるだろうから、僕もまだまだ遊ぶ。

振り返って痛感したけど、やはりめちゃくちゃな日々だった。「現実」が嫌でパニカメに没頭したはずが逆にパニカメが「現実」になってしまい、それも嫌になって逆に「非現実」になった「現実」を大事にし始めて歯磨きにハマり30分磨き続けたり、夕方起きる度に連絡が百数十件、、という時期もあった。でも、そんなしっちゃかめっちゃかな状態が実は結構好きなのだ。そんなパニカメ・カオスから、これからも何かが生まれる事を願って。

(26号編集長・榮光太郎)

追記
誰よりも近い場所で、誰よりも応援してくれた家族や親戚一同、特に母には改めて心からの感謝を。仮に自分の息子が「浪人・留年の末、無内定のままパニカメ制作に没頭する狂人」だったら恐らく8回ほど勘当している。僕の全ては、あなたのおかげです。本当に本当にありがとう。

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2022/12/03

あの激動のパニカメカオスを乗り越え、無事に(?)卒論を書き終え慶應義塾大学を卒業した榮は、、、
何故か今年もパニカメに関わっていた!!!なんで!?

という訳で今年からはOBもとい”Panic Americanaクリエィティブ・ディレクター/エディトリアル・プロデューサー”として後輩達のサポートをする事になった。去年、ウェブパニカメを立ち上げながら「こんな大仰なものを作ったら永遠に後輩に教えないといけないのでは、、?」と薄々感づいてはいたが、やはり現実になってしまった。そういえば初代パニカメ編集長の向山さんも何年間か後輩達の面倒を見ていたと巽先生が仰っていたことを思い出す(26号『たつこた鼎談』を見よ)。向山さんと自分を重ね合わせるのはあまりにもおこがましいが、これも巽ゼミ、パニカメ編集長の伝統な訳だから進んで引き受けよう。 というか、引き受けるしかないのである。

ただ、これも巽ゼミの伝統なのか、優秀な後輩達に恵まれたお陰で今年は”クリエィティブ・ディレクター/エディトリアル・プロデューサー”として横槍を入れたり、自慢話をしたり、スベったりしているだけでことが進んでいった。諸事情でスタートが遅くなったため現在は全ての記事が揃っていないが、恐らく1~2月頃までには全ての記事が揃っているだろう。一度にコンテンツを用意しすぎるとやはり読者は飽和感を覚えてしまうので、こうしてウェブ媒体の利点を生かして順次投稿していくのも戦略の一つ、という事にしておけば良いのだ。

今日、後輩達がリニューアルしたパニカメの姿を見て、実はまず最初に「寂しい」と思った。数十時間、下手すると100時間以上かけて作ったパニカメ26号が27号へと変わった事に対して自分の想像以上に喪失感を覚えているらしい。編集部員として携わった雑誌形態最後のパニカメ、25号は今も何冊か本棚に陳列されているが、そこにはあの頃のカオスや熱狂がそのまま残っている。ここはやはり雑誌、というよりフィジカルの素晴らしさだろう。

しかし、同時に「嬉しさ」も感じている。ここで少しこの『編集後記』を上にスクロールしてみよう。

今回、苦労して作ったこの僕の「遊び場」が「みんなの遊び場」になってくれれば光栄だ。とはいえ引継ぎ含め当分パニカメに関わるだろうから、僕もまだまだ遊ぶ。

そう、ウェブパニカメは今年はじめて「みんなの遊び場」になった。現・佐藤ゼミの後輩達からすると米文学ゼミに入ったら、そこは教授の師匠のゼミを受け継いだ場所で(分かる)、その旧ゼミは機関紙を製作していて(よく分からない)、自分達もそれを作らないといけない(意味不明)という感じで遊んでるどころじゃなかったかもしれないが、これからは佐藤ゼミとしての、”今のパニカメ”を遊びながら更新し続けていって欲しい。「とはいえ引継ぎ含め当分パニカメに関わるだろうから、僕もまだまだ遊ぶ。」


思うに、ウェブサイトは書籍以上に、比喩だけではなく字義通りの意味でも、ゼミというコミュニティと同じく、「地層」なんだろう。『Panic Americana』という地層においてはほとんど地表に近いところで、『ウェブ版Panic Americana』という地層においては一番深い場所で、こうして巽ゼミと佐藤ゼミの架け橋としてPanic Americanaの一部になれた事が、それを今回感じる事が出来たのが嬉しかった。そして、この『編集後記』はウェブパニカメの最下層でひっそりヌメヌメと蠢いている。去年、目立たないように投稿時間を一番最初に設定しておいたのが思わぬ形で活きたようだ(記事は時系列順で表示されるのです)。たまにはこうして編集後記を加筆するのも良いかもしれない、ウェブだしね。今回は少しだけしんみりしてしまった。実は榮が真面目な話をするとサーバーが落ちる設定になっているのでここら辺でやめときましょう。あざした!!


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